■2025年06月07日 『ぶたのたね』 |
やだもう、早く続きが読みたくて焦っちゃうじゃないの。佐々木マキ『ぶ
たのたね』絵本館。この先「また…」「またまた…」「あやしい…」と続
くのをカバーソデで知って。走るのがぶたより遅いおおかみがいてお困り。
そう、わるくて力のつよいやつのお困りばなしって、安心して読める。人
間界で、なんでかしらんけど「何考えとるの?あかんでしょ」という人に
力持たせちゃって、いろいろヒドイことになっている今、よけいにこうい
うのが読みたい。このおおかみがこの先もぶたに負け続けることを期待。 |
■2025年06月06日 『とってもすばらしい場所』 |
見返しの美しさにまずは目を奪われた。パオラ・エスコバル『とってもす
ばらしい場所』岩波書店。群青色の夜から光り輝く黄色にむけてのグラデ
ーション。夜と昼がグラデーションになっているのと同じように、電気代
も払えないほど貧しい暮らしと、とってもすばらしい上品な人たちばかり
が暮らす輝かしい世界も、グラデーションになっているのだなあ。ジュー
スをこぼすといった失敗も許されない「とってもすばらしい世界」から結
局は逃れて、足りないところだらけの家族の元に帰れたことにほっとした。 |
■2025年06月05日 『途中の話』 |
図書館で見つけた和田まさ子『物語のガーデン〜子どもの本の植物誌』03
年青林堂、『私の好きな人形物語〜絵本・物語の中の人形たち』09年てら
いんくを、どんなに楽しんだことだろう。本友達と再読してまた盛り上が
ったり、買って別の友に押し付けたりした。詩集『途中の話』思潮社24年
もしっくりと好きで、庭と人形も再再読したくて図書館を探すがない。図
書館で新刊を多数購入してもらえるのは有難いが「あの本をまた読みたい
」という願いもかなうといいな。図書館には大きな書庫があったらいいな。 |
■2025年06月04日 『わたしの名前はオクトーバー』 |
11歳ってこんなに幼いかなあ、いくら母に見捨てられた深い森暮らしの父
娘としても…とじりじりしながら読んでいたけれど、花開くように成長し
た。カチャ・ベーレン『わたしの名前はオクトーバー』評論社。心から大
切に思いながら、いや大切だからこそ手放すことについての物語だった。
そういう手放し方で別れた人間は、時間のおもりは違うけれど、一層よい
形で戻ってきてくれる。野生動物は手放すだけだから、一番つらい別れを
したのはこの子だったろう。でも人間関係はうまく築けるようになった。 |
■2025年06月04日 週刊 DUDIKO 703 |
『グリーン・ノウの川』
こんなのを読んでいると、アーサー・ランサム全集12巻を再再読したく
なって困るー!と嬉しくじたばたしながら、ルーシー・M・ボストン『グ
リーン・ノウの川』評論社を読んだ。この巻でオールドノウ夫人は長期旅
行で不在。考古学の博士と、「料理命」の女性二人組に、家屋敷を貸して
いる。
博士は姪の娘(孫ほどの年か。英国人)と、ポーランドとビルマからの
難民の少年二人を招いて、夏休みを好きなように過ごさせた。初対面の子
どもたちは、ときに「友情の難しさ、ぐらつきやすさ」をも感じるほどの、
深い友達になる。
ここまで素晴らしい夏を過ごさせてくれた博士を喜ばせたくて、子ども
たちが工夫し、頑張るところで、私も「この先、博士の喜ぶ顔が見られる
んだね!」と、期待でパンパンになってしまった。
ところがいざとなると、博士は大人の「常識」を発動させてしまい、自
分が渇望してきたものがまさに目の前にあることに、気付こうとしない。
その切なさと失望を存分に味わった子どもたちも、やがて常識の枠内でう
まくやっていく、スマートな大人に向かって成長していくことだろう。そ
れでも、こんな夏を過ごせたことは、彼らが将来身を捧げるに違いない、
「善き仕事」を支えるだろうと、確信できた。
|
■2025年06月03日 成熟なき老い |
ネットラジオで上野千鶴子、荻上チキ「なぜ私たちは『老い』を恐れるの
か」を聞く。体力のピークは20代で、それ以降は確実に衰えるが、現在自
覚的な青年期は35歳まで、中年期は65歳まで伸びている。つまり65歳まで
は、自分の老いを感じていないとのこと。生産性のないのは悪で、生涯現
役のままで死ぬべきと思うなら、それまでに。つまり人生100年時代、自
分だけは人の助けを借りずに生きられるってありえませんよと。「成熟と
は死ぬまで生き切る覚悟を持つこと」とも。「生き切る」の意味を考える。 |
■2025年06月02日 最初はおしゃべり |
1歳孫の今のお気に入りはエルサ・ベスコフ『おりこうなアニカ』『ブル
ーベリーもりでのプッテのぼうけん』『ペレのあたらしいふく』福音館書
店。ちょうど庭になりはじめたブルーベリーを「ぽちん、まいまいまい」
と食べるのも好き。うちの実はすーっぱいんだけどね。まだ絵本読みが聞
けるわけではないが、婆が絵を見ながら「でね…したのよ。そしたらね…
なんだって」のように我ながら回りくどく下手にしゃべるのを、何度でも
聞きたがる。そのうち、読み上げも聞けるようになる。その方が婆もらく。 |
■2025年06月01日 『びんのそら』 |
学生時代に荒井由実「海を見ていた午後」の「ソーダ水の中を貨物船が通
る」を、なんて素敵なうただろうと聞いたとき、谷内六郎『びんのそら』
至光社こどものせかい1972年8月号と重ねていた。青い夜空のサイダーを
神さまが「とぷとぷ」と飲み干すと、夜が明ける。昨夜の星が貝になって
砂浜に散らばる。この月刊誌はカトリックの幼稚園で頒布するものだった
が、キリスト教の神様より広義の神話的な神を、六郎氏は描いてまうんか
い、いいぞいいぞという15歳らしい感想だった。朝一番の貝拾いに憧れた。 |
■2025年05月31日 『なつのあさ』 |
婆と読んだ絵本が気に入ると、1歳孫は「ぱぱおとん(パパと呼ばれて抵
抗する息子の涙ぐましい努力の成果)、げん」と玄関に置きに行く。谷内
こうた『なつのあさ』至光社を気に入って、両親に何度も読んでもらい、
以後汽車の絵全てを「だっだしゅっしゅ」と言う。婆のこうた絵本9冊を
同じ画家と認識しているように見え、また伯父の谷内六郎『びんのそら』
が特に好き。置きに行った玄関で一人、あっちのページこっちのページと
長いこと鑑賞する横顔が可愛くて見とれる婆にも気づかず見入っていた。 |
■2025年05月30日 時短のため |
オーストラリアで「日本人か?ならいい。日本人以外のアジア人は嫌い」
と言い放つお店の人、タクシーの人に何度か出会った話が載っていた。図
書館マンガ、さわぐちけいすけ『妻は他人』KADOKAWA。嫌われなかったこ
とについホッとしそうなシーンだが「『偏見=時短術』として自然に身に
ついた」ものと考察されていて、なるほどと思った。例えば女はこういう
ものこうあるべきという偏見があると、女なんだからこうしろと、深く考
えずにものを言えるからラクだと。時短のための偏見に私も気をつけたい。 |
■2025年05月29日 瀬戸内海を守る姫 |
土田よしこ先生のマンガ『つる姫じゃーっ!』なら昔少し読んだけど、こ
れは知らないなあと、子どもの本関連のお便りに紹介されていた、阿久根
治子『つる姫』福音館書店を読む。実はこの日、長く抜けない風邪で鼻も
目も頭も辛くて、無理するまいと読んでいたつもりが、なんだか展開がス
パスパっと思うところに入っていく心地よさに、気づいたら読了。不思議
と体調まで上向いた感じがした。21年9月に引き込まれて読んだ和田竜『
村上海賊の娘』新潮社の血なまぐささがなくて安心して読めたのもよい。 |
■2025年05月28日 『ゴッホとひまわり』 |
裏表紙の「もしみんなが完璧だったら世界はつまらないものになってしま
いますね」に惹かれて手に取った、バーバラ・ストック『ゴッホとひまわ
り』月と文社。絵のモデルは美男美女よりユニークで個性のある顔。「ひ
まわり」のモデルは花盛りの立派な花でなく、「茎が折れてもう葉っぱが
少し茶色くなっている」もの。確かにそうだった!「黄色のシンフォニー
が描けそうだ」。皆が見逃してしまう物の中に見つける美しさを描いたの
がゴッホだと。この方の描く他の画家についての絵本も読んでみたいな。 |
■2025年05月28日 週刊 DUDIKO 702 |
『イギリスは愉快だ』
欲しい本を古本で買おうとすると、大抵最初に出た大きな単行本が安く
て、文庫本の方が高い。置き場所を思うと小型が吉なのと、時に「文庫版
のためあとがき」がついているからだろうか。林望『イギリスは愉快だ』
平凡社→文春文庫にはついていた。グリーン・ノウの作者、ルーシー・M
・ボストン夫人のお城にリンボウ先生が下宿なさっていた時のお話である。
買ってみると、グリーン・ノウ物語単行本6冊組の箱の上にちょうど乗
るサイズで嬉しい。図書館本は期限に追われて、少なくとも読むか読まな
いかはすぐ決めて、読むとなったらさっさといくが、自分の本は大抵再読
で、期限がないから油断してなかなか取りかかれずにいた。一旦開くと楽
しくてすぐ読んでしまった。
夫人が訪問者に「私のところの愉快な下宿人のハヤシさん」と紹介して
いるとおり、ふたりで教養あふるるおしゃべりを楽しみ、食器洗いを手伝
い、一緒に出掛ける。親戚のおばさまにお仕えする若者のような端正なふ
るまいが、大変に心地よかった。偉大な児童文学者であるボストン夫人を、
つい神格化したくなる我々ファンの薄っぺらい期待を裏切るかのような、
お茶目な彼女に、にこにこした。
ボストン夫人宅に住む前のリンボウ先生下宿先の家主、世界的な学者と
精神科医夫妻が、小さい二人の男の子を育てるために、毎夜夫婦とも家に
居たというお話もすごく好き。
|
■2025年05月27日 『しんちゃんのひつじ』 |
お父さんが出張で心細く、風も強くて眠れぬ夜、羊を数えるといいと教わ
ったしんちゃんは、羊ってどんなん?と思う。すぎはらともこ『しんちゃ
んのひつじ』徳間書店。母と兄からことばで教わった通りに思い浮かべる
うち、なんだかどんどん巨大化して毛が長くなって、角を持つのさえ居る
らしく、噛みつきそうで手に負えない感じになっていく。何かわかるなあ。
この歳になっても未知のことほど考えるのが怖いもの。でもお父さんは電
話ですこし、お土産で完璧に安心させてくれた。頼りになるお父さんね。 |
■2025年05月26日 『はるちゃんのぼんぼりぼうし』 |
孫は婆が編んだ帽子を好んでお外はもちろん、おうちの中でもかぶったま
まで遊んだり、お礼のお手紙を書いてくれたりする。嬉しい。とよたかず
ひこ『はるちゃんのぼんぼりぼうし』ひさかたチャイルドを気に入ってい
ると聞いて、婆も読んでみる。お母さんが編んでくれた赤いぼんぼり(ポ
ンポン)つき帽子をだいじにかぶり、仲良しの動物にもちょっとかしてあ
げたり、一緒にかぶったりしながら、ぼんぼりをゆらゆらさせてゆっくり
と歩いていくそれだけの話。それだけでいいのね。それこそが楽しいのね。 |
■2025年05月25日 『昨夜のカレー、明日のパン』 |
高山なおみさんの本で知った、木皿泉『昨夜のカレー、明日のパン』河出
書房新社はお料理の本ではなくて、病気で夫を失ったままギフ(義父)と
住み続けているテツコと、その周辺の人間の話だった。みんな欠点持ち(
当たり前)だけど全員いい人で、ああ好きだな好きだなと思えるところが
いい。この気持ちは中学の音楽の時間に合唱をたくさんしているうちに、
なぜか男女問わず人のいいところが目についてきて、この子も好きあの子
も好きと思えたあの気持ちにそっくりだなと、不思議な既視感を味わった。 |
■2025年05月24日 『高山なおみのはなべろ読書記』 |
料理研究家というと、せんまんえんぐらいかけたキッチンにおしゃれな服
でしゅっと立って、紀伊国屋かどっかで調達した材料を使って、鮮やかな
手際を見せてくれる人だと何となく思っていた。偏見だった。『高山なお
みのはなべろ読書記』KADOKAWA。質素に暮らし、時折一人で一日布団にも
ぐって本読んでほろほろ泣く愛らしい方。鼻もべろ(舌)も、他の感覚器
も全部本の世界で広げるためか、お布団ごもり読書をなさる。読んだこと
のある本が多かったが私はひとつも泣いてないな。読みたい本は増えた。 |
■2025年05月23日 『とらまる、山へいく』 |
『やまの動物病院』の飼い猫とらまるは、仔猫のときから大きかったし「
ヤマネコの耳毛」があるし、この病院の裏庭には祠があって、ほこらは不
思議なことが起きた場所に建てられることが多いし…と謎だらけ。なかが
わちひろ『とらまる、山へいく』徳間書店。先生が寝ている夜に、とらま
るは山に往診。岩登りの時は白衣のセンターベント(ジャケット裾の背の
スリット。サイドベンツは2本ね)を結んで4本足歩行のところ、年上の仲
間たちにほめられると、照れて白衣のえりをなめちゃうところがいいな。 |
■2025年05月22日 『やまの動物病院』 |
消防署や病院はヒマなほどよろし。なかがわちひろ『やまの動物病院』徳
間書店の動物病院の先生は居眠り常習者で、たまにやって来る犬のジュリ
アちゃんの飼い主、田中さんに起こされる。裁縫上手の彼女はレースやフ
リルやドレスのトーク、先生は手早く治療、飼い猫のとらまるは寝たふり
しつつ先生の名医ぶりを学び、内緒の夜の部の医療に活かす。とらまるの
腕もなかなかのもの。結婚式出席のためにジュリア宿泊を依頼した田中さ
んのお礼、お菓子やお花やLOVE風船に埋もれて呆然とする先生にわろた。 |
■2025年05月21日 週刊 DUDIKO 701 |
『グリーン・ノウの煙突』
ひと家族の中に、考えの浅いがみがみ老女も、ジェントルマンもいれば、
美しくて派手好きで軽率な女も、スポイルされた美形息子の見本みたいな青
年も、盲目でも快活で向上心あふれる少女もいるんだなあ。なぜそんな、人
格的につりあわない結婚がなされ、毒母のいっちょ上がりになるかという疑
問は残るよね、と考えながら読んでいた。ルーシー・M・ボストン『グリー
ン・ノウの煙突』評論社。
書かれた当時(1958年)から、舞台はさらに150年前だからということも
あろうが、今だって家族の実情は、さして変わっていないのかもしれない。
使用人の中に、親切な考えなしも、献身的な守護天使も、凶悪犯も、ちゃ
んぽんに居るのが、上流階級の苦労かなとも思った。使用人は解雇できるが、
家族はそうはいかないからなあと考えていたら、著者が離婚していることが、
救いのように思えてきた。自分が壊れる前に、結婚を壊すのが正解だもの。
それはさておき、大おばあちゃんオールドノウ夫人が、曾孫のトーリーに
かけることばのひとつひとつが、繊細で、親切で、節制がきいていて、愉快
で、頭のいいこと。自分を振り返ると「どうしても孫に厚着させがち」とか、
「婆んとこに来るようになって明らかに太った」といった、いかにも婆ちゃ
ん的ご迷惑をかけている。そういうことのなさそうな人。
大おばあちゃんは、古い布を使ってパッチワークをしながら、トーリーへ
のお話をつないでいくのだが、「パーツごと型紙が要る」「かがり縫いをす
る」ってどういうこと? まさか型紙つけたままでキルティングしないよね、
と混乱した。これも今や、調べるとすぐわかる「ペーパーライナー」という
技法で、型紙ごとしつけをしてかがり、アイロンをかけたらしつけと紙を外
すのだって。納得。
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